【コラム】

しらしらの

別当

写真

大宮姫神社

 天平15年(643)に墾田永年私財の法が出ると各地の有力な豪族や寺社はきそって市有地を広げた。公地公民は崩れ、国家の政策はもろくも変更を余儀なくされた。平安時代になると、中央の貴族たちは、わが世の春を謳い栄華をきわめ、ぜいたくな暮らしにふけり、政治のことなど顧みるものはいなかった。当然のことだが、地方の政治は乱れ、盗賊や盗人が横行し取り締まる役人もその加担者だった。そのため農民たちは極度に生活に困ることになった。各地の有力者は、自分たちの開墾した田地を守るため自衛策として一族や下人たちに武装させた。各地に武士が起こったのもこの付近の事情があったのであろう。荘園や名田と呼ばれる土地も平安時代の半ばに各地にできあがり、土地の争いが絶え間なく続いていた。
 佐世保周辺で開墾の記録はないが、『しらしらの別当』と呼ばれていた武辺胤明(たねあき)の伝説が残っている。彼は天元元年(978)に、相神浦に一族で上陸し、竹辺付近から中里、皆瀬、大野付近まで開拓の鍬を広げたといわれる。彼が最初に住み着いたところを武辺郷という。
 胤明は開拓を進めるときに、近くの海の神を慰めるために、豊玉姫を祭神とする社を建てた。これが現在も竹辺町にある大宮神社といわれている。この神社には、古い団扇(うちわ)と一つの木札が宝物として保存されている。木の団扇に書かれた年号などは、はっきりせず、いつ頃作って奉納されたかわからない。伝説によるとその団扇に次のような歌が書かれているという。

 『いそ近き おかのくすのき ねのさして
  ふねこそみ代の たからなるもの』(武辺胤明)

 やがて胤明は「私が死んだら、私の開いた土地が一目で見えるところに葬ってくれ。」との遺言だったので、愛宕山の小高いところに木宮神社を建てて祭ったという。
 近年、大宮神社の調査が実施されたが、建設年代は棟札から延宝7年(1679)とされている。県内では最古の木造建築物である。