4  弥生人の信仰と埋葬

 高島宮の本は弥生時代の埋葬(まいそう)遺跡である。その多くは箱式石棺という埋葬様式を主体として、多数出土している。しかも、その中には保存状態の良好な人骨が、石棺、土壙墓などの中に41体も埋葬されていた。中には幼くして命を亡くした子どもの甕棺(かめかん)も見られる。
 その幼小児の人骨は、推定年齢がおよそ11歳を筆頭に9体が検出されている。弥生時代の人骨は40体であることからすれば、かなり高い出土率を示しており、縄文時代と同じく、苛酷な自然条件だったことが推察できる。また、縄文時代の土壙墓といって直接土の中に埋葬したものもあった。
 特に、女性の二号人骨の左腕に南海産イモ貝のブレスレットと、在地系の二枚貝の貝輪を装着した人骨も検出された。遠く南西諸島から島伝いに運ばれたのであろう。しかも、貝輪を装着した人骨は全て女性であった。この縄文時代的な習俗は西北九州の海岸地帯や五島列島に残っており、ここにも女性人骨への貝輪装着の習俗があったことを示している。さらに、北海道の伊達(だて)市の有珠(うす)十遺跡でもイモ貝腕輪が出土しており、東シナ海→玄海灘→日本海海岸と続く『貝の道』があったと想定され、特殊な階層の存在と豊かな海の幸を土台とした高島弥生人の活動の場が思い起こされる。成人男性人骨の平均身長は約162cmと高く、女性は約146cmと低い。しかし、縄文人の特色を持つ広顔であった。このことから高島では在地の縄文人が弥生化した可能性が高い。
 四反田遺跡では、小児の甕棺墓や石棺墓、支石墓(しせきぼ)が検出された。支石墓はもともと朝鮮半島で始まった埋葬の様式で、大きな上石を小さな数個の石で支えるという特徴があり、県北では田平町の里田原、佐々町の狸穴、鹿町町の大野台、宇久町松原などで支石墓群が見られる。
 宮の中村遺跡の小児石棺には、耳に装着されていたと思われる瑪瑙(めのう)や翡翆(ひすい)玉が出土した。一般の石棺墓には見られることがなく、これは特殊な階層の存在を示唆(しさ)している。
 下本山岩陰の弥生後期石棺墓の人骨は、男性が160cm以上もある高身長で、頑健な体をしていた。女性は153cmで頑丈な体格だったと報告されている。この箱式石棺に埋葬されていた人は男女合葬(がっそう)で、男性が先に埋葬され、その後その人骨は隅に移動したようにして、身内の女性を埋葬した形跡があった。

CONTENTS

表紙へ

   

図8 高島宮の本の箱式石棺
写真2 貝輪着装の女性人骨(高島宮の本)

写真4 下本山岩陰の弥生人骨
写真3 四反田遺跡の支石墓