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1 最古の土器   豆粒文土器

 佐世保地域の中でも特に重要な洞穴遺跡は、瀬戸越の泉福寺(せんぷくじ)洞穴と松瀬町の岩下洞穴である。相浦川をはさんで立地するこの洞穴は、日本の縄文時代(約1万3000年前〜2400年前)の代表的な重要遺跡である。
 泉福寺洞穴は昭和44年に4名の中学生たちによって発見され、故麻生優(あそうまさる)千葉大学名誉教授を団長として佐世保市の委託で昭和45年から10年間かかって学術調査が行われた。その結果、約3,200点の土器、約63,000点の石器が出土し、土器の発生期の謎を研究する格好の遺跡となった。
 昭和35年吉井町の福井洞穴で隆線文(りゅうせんもん)土器が出土し、世界最古といわれていた。泉福寺洞穴ではその土器層の下層から、昭和48年の第四次調査時、表面に豆粒(まめつぶ)の文様をつけた土器片と細石器が同時に出土した。土器の発明という大きな技術の革新は、地球が温暖化し日本列島ができあがり、自然環境が大きく変わる中でおこった。
 この土器は、豆粒文(とうりゅうもん)土器と命名され、科学的年代分析の結果、約1万3000年前ということが分かった。この土器は約500度ほどの温度で焼かれていた。豆粒文土器は世界最古級の土器の一つといわれている。しかし、泉福寺洞穴以後の発掘調査で全国的に最古級の発見が相次いでいるが、泉福寺洞穴のように層位と土器と石器がまとまっている例はない。
 学界の一部では、豆粒文土器は隆線文土器の一部という解釈があるが、泉福寺洞穴10層の再検討により、豆粒文土器は隆線文土器の下層であることが明らかにされたことから、最古級との地位は動かない。
 土器の発明は、それまでのヒトの生活に大きな変革を与えた。これまでの革(かわ)や樹皮(じゅひ)、編み物などの容器に代わり、水を通さず火にかけて使える画期的(かっきてき)なものであった。ドングリやマテバシイなどのでんぷん質の堅果(けんか)類を食材に取り入れねば、ヒトは生きてはいけない。その固い実をアクぬきし、木の根を柔らかくして煮て食べる器(うつわ)こそ、土器だったのである。
 以来、ヒトは煮る蒸(む)すなどの調理や発酵などの加工、そして蓄え、盛りつけ、道具として土器を利用してきた。
 上の地層図によっても、泉福寺洞穴がこの地域で、拠点的な定住生活遺構だったことを示しており、長期間にわたって周辺に影響を与えていた。石皿(いしざら)や磨石(すりいし)など調理に関係した石器も出土している。

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図1 最古の土器の発見史
(麻生優・白石浩之著 縄文土器の知識Tより) 

図2 泉福寺洞穴の5トレの層位と出土の遺物
(但し、12層は第1洞前庭部)