1 旧石器時代の佐世保

 私たちの遠い祖先の人たちは、いつ頃から佐世保に住み始めたのだろう。
 1949年、群馬県の相沢青年の地道な活動によって、日本の旧石器時代が明らかにされて以来、全国的にもこの時代の研究が進んだ。県内でも昭和35年(1960)芹沢長介(せりざわちょうすけ)・鎌木義昌(かまきよしまさ)らの吉井町福井洞穴調査の結果、最下層から約3万年前の石器が出土したことで、この研究が一段と進むことになった。1960年代から70年代にかけて、佐世保の周辺でもたくさんの先史時代の遺跡が見つかり、大がかりな発掘調査が行われた結果、旧石器時代の人々が生活していたことが分かった。
 今から約3万数千年前から1万3000年前を後期旧石器時代という。土器はまだ使われず、石器や骨角器を道具として使っていた。当時の人たちが佐世保に住んでいた証(あかし)は相浦川や小森川の流域、針尾島や烏帽子岳周辺に多く、県内の約4分の1以上の遺跡が確認されている。
 どうしてこのように遺跡が多いのか考えてみよう。
 まず、大陸に近いという利点があったことであろう。
 今から約2万年前の最後の氷河期には現在より気温が7度ほど低く、海面は約100mは低かったといわれている。大陸とは陸続きで今の九十九島はなく、東シナ海から容易に、人や動物たちが渡って来ることができた。さらに、人が生きるには衣食住の条件がそろわねばならず、それを満たすための道具が必要である。その多くは石器であり、その原産地が近くに立地していたことが幸いしたと考えられる。また、この周辺は洪積世(こうせきせい)(約200万年前)に作られた溶岩台地が広がっており、その後の海面変化や浸食作用で形成された段丘(だんきゅう)や台地が旧石器人の生活舞台だった。もう一つは火山灰土が厚く堆積せず、表土がうすかった結果、遺跡の発見される割合が大きかったこともあげられよう。
 それでは、そのころの動物群についてあげてみよう。
 当時の日本には、北方にはマンモス象、本州にはナウマン象やオオツノジカ、毛サイ、野牛など大陸で棲息する大型の動物群がいた。県内の遺跡からもそれらの動物たちの骨などが出土している。それらの大型獣との闘いに人々は知恵を集め、道具の改良や食糧の保存などに、力をつくして生きていたと思われる。しかしながら佐世保の周辺から、当時の人たちの狩猟生活を示す動物たちの痕跡は見つかっていない。

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図1 市内旧石器遺跡分布と黒曜石原産地
図2 旧石器時代の動物群と狩りの想像図